「南モンゴルにおける「開発」の実態」講演録(チメド・ジャルガル クリルタイ副会長)

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ジャルガル副会長が、アジア自由民主連帯協議会において「南モンゴルにおける「開発」の実態」と題した講演を行いました。
以下は、協議会様のサイトにアップロードされた講演録でございます。

 


 6月17日、アジア自由民主連帯協議会 第28回主催講演会「南モンゴルにおける「開発」の実態」(講師:クリルタイ副会長チメド・ジャルガル氏)が開催されました。

 ジャルガル氏は、南モンゴルにおける、中国政府の言う「開発」とは、現実のモンゴル人にはほとんど恩恵はないこと、だからこそ、現実的に南モンゴル人による抗議行動や、事態の改善を求める陳情が現在起きているのだとまず指摘しました。

 その上で、中国政府、いや、清朝時代から中国人が行ってきた「開発」とは「耕地開発、鉱山開発、工業開発、都市開発」の4つの概念で成り立っていること、そして最初の農地開発とは、清朝初期の時代から行われていたと述べました。清朝時代、自然災害で土地を失った中国人(漢人)農民が、本来モンゴル人の土地であった、現在の興安省などに流入してきたことがまず最初のことであり、当初は一応清朝としても、そこでの定着や定住は一応禁止しており、臨時の借用地としてのものだったのだが、結局流入してきた中国人はそのまま定着・定住してしまったと述べました。

 そして清朝末期に至ると、貧しい漢人農民がモンゴルの草原を開拓することは明確に将来されるようになり、しかも、清朝は北方ロシア帝国の脅威に備えたいという意志もあって、積極的に漢人を送り込むようになったと述べました。20世紀になってから清朝が辛亥革命によって滅びるまでの約10年の間に、この流入は激しくなり、漢人農民の総数はそこにもともと住んでいたモンゴル人の数を越えてしまったとジャルガル氏は語りました。

 そして、この時期で忘れてはならないのは、1891年に起きた金丹道の虐殺事件であるとジャルガル氏は指摘しました。金丹道は白蓮教の分枝で、中国社会に古くから残る秘密結社の一つですが、この教えを信奉する漢人農民は、この年清朝に対して反乱を起こし、万単位モンゴル人が虐殺されるという事件が起こりました。(ホームページ「内モンゴルと文化大革命」は、この事件をこう記しています。「首領の楊閲春と李国珍らは「掃北武聖人」、つまり、「北のモンゴル人を一掃する武勇聖人」と自称していた。楊閲春らは「殺人奪地」(モンゴル人を殺してその土地を奪おう)、「掃胡滅清殺韃子」(モンゴル人と満州人を殺して清朝を滅ぼす)、という過激なスローガンを掲げて、内モンゴル東部のジョソト盟やジョーウダ盟に闖入して各地で大量虐殺を働いた。殺害されたモンゴル人の数は数万に達するとの説がある。また、他にも数万人の故郷を失ったモンゴル人たちはさらに北へと移っていった。」http://ccr-sm.net/category/history/)ジャルガル氏は、これは後年の文化大革命時代の虐殺とまったく同じ、民族絶滅政策だと批判しました。

 そして、この清朝末期に作られた流入漢人による行政組織は、そのまま中華民国時代に引き継がれ、しかも、そこでは軍閥との結託が生じ、軍人と漢人農民がともに流入して草原を開拓・略奪し、武器を持たぬモンゴル人は抵抗が難しくなっていったと述べました。この時代の抵抗運動の英雄は、ガーダーメイリンという人物で、今でもモンゴル人たちは集うとこの抵抗者を讃えて歌う歌がある、とジャルガル氏は述べました。

 そして、この軍閥、軍人と農民との連合によって草原を奪うやり方は中華人民共和国時代にもそのまま引き継がれ、政権は国民党から共産党に変わっても、結局、その土地は漢人のものであってモンゴル人に返還されることは許されなかった、そして、実際にモンゴル人が住んでいた地域よりもさらに狭い地域が「内モンゴル自治区」となり、モンゴル人は土地も権利も失っていったとジャルガル氏は語りました。

 そして、中華人民共和国時代、「生産兵団」という名のもとに、漢人農民が組織化され、軍隊と共に移住してきて、その多くは河南、河北省出身の農民たちだったが、国営能所を作り、ソ連のような機械化した農業を展開した。しかし、もともとモンゴルの地は、雨量が少なく、風が強く、しかも、土地の下は砂地で、開墾すれば砂漠化しやすく、草原には向いているが農業、工作には不向きなため、あっという間に農業は失敗し、土地はどんどん砂漠化していったとジャルガル氏は中国政府の人災による砂漠化を批判しました。

 さらに重要なのは、農地を開発する、耕作するということ自体が、草原の遊牧・牧畜を伝統生活としてきたモンゴル人から、その故郷も生活基盤も奪うことであり、清朝以来の中国人の政策は、モンゴル人から草原と牧畜を奪い、モンゴル人として生きていくことを不可能にする民族絶滅政策なのだとジャルガル氏は規定しました。

 そして、中華人民共和国建国後徹底的に行われたのが、鉱山開発、特にモンゴルにおける徹底した露天掘りであり、確かに南モンゴルは石炭資源が豊富だが、無理な採掘によって地下水が汚染され、さらに砂漠化が進む深刻な環境破壊が起こっていることをジャルガル氏は指摘しました。そして、中国政府による西部大開発という美名の陰には、このような深刻な環境破壊と、モンゴル人が生きていけなくなり、草原が滅んでいく現実があること、もともとその地下資源はモンゴル人のものだったはずであり、中国政府の行っていることは強奪に他ならないと訴えて講演を終えました。なお、最後にジャルガル氏が以前書いた文章を紹介しておきます。(文責・三浦)

http://www.lupm.org/japanese/pages/110908j.htm