10月25日午後2時より、参議院会館会議室にて、アジアの民主化を促進する東京集会が開催されました。 訪日中南モンゴルクリルタイ会長テムチレトが「南モンゴルにおけるジェノサイド歴史と現状」テーマ基調講演を行いました。
以下は、アジア自由民主連帯協議会ホームページからの転載です。
こちらのサイトにて動画が公開されています。
https://www.asiandemocracy.jp/2022/10/30/371
会はショブチョード・テムチルト(名前表記はクリルタイホームページに従う)氏の講演「南モンゴルジェノサイドの歴史と現在」から始まりました。
テムチルト氏は、中国共産党による南モンゴルジェノサイドについて、要因の一つとして中ソ対立をあげ、1960年代特に文化大革命時代、中国は中ソ戦争がもし起これば、中国は南モンゴル人を扇動しソ連の側に立って闘わせるのではないかと考え、その前にモンゴル人も抹殺を図った可能性があると述べました。
そして、文化大革命時のジェノサイドは、まだその全体像は明らかになっていないが、中国政府ですら現在は人民日報でこの時期に1万6千人が犠牲になったと認めており,当時南モンゴルで主席を務めていたウランフも、講演で3万5千人が殺されたと語っている、そしてモンゴル人学者の中には、直接殺害されたモンゴル人と、拷問を受けて釈放後に亡くなったモンゴル人を含めれば、数十万人が犠牲になったという説もあると述べ、このジェノサイドの恐ろしさを語りました。
続いてテムチルト氏は、現在はウイグルにおける収容所の存在と、そこでのジェノサイドが国際的に批判されているが、文化大革命時にはまさにモンゴルでも同様のことが起きていた。当時は人民公社がそのままモンゴル人収容所となり、そこから出ていくことも許されず、中で暴力と拷問、そして処刑が行われていたと述べました。そして、テムチルト氏自身の祖父も、民兵が彼を連れ出して、40日閉じ込められ、そこで頭にくぎが打ち込まれて殺されるという事件があったが、当時は幼かった自分(テムチルト氏は1956年生まれ)はただ恐怖におびえるだけだったと述べました。祖父がどんな罪で殺されたかも今もわからないそうです。
このような体験を経て、大学に進んだテムチルト氏の世代が、今後どうやってモンゴル人が生き延びることができるかを考え、語り合うようになったということです。文化大革命が終わり改革開放の時代になり、テムチルト氏らは70年代末から80年代初めにかけて学生運動を中心に中国政府に抗議をはじめ、モンゴル人としての自治権要求や、漢人大量移民への抗議などを、陳情の形で行いますが、中国政府の弾圧を受け、地下組織を結成し、世界情報の収集にあたります。ダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞には特に力づけられ、天安門事件にも強い衝撃を受けたとテムチルト氏は語りました。
その上で1991年、テムチルト氏は海外に脱出して運動を国際的に展開することを決意、モンゴル国に脱出、そこで温かく迎えられて、その後ドイツに渡ることになります。チベット亡命政府や世界ウイグル会議、また中国民主化運動との交流を経て、モンゴルの民族自決の実現のためにも、他の民族との連帯が必要だと理解し、また、単に人権を訴えるだけでは政治的目的は果たせないと、内モンゴル人民党の結成に至ったと述べました。
その後、世界の様々なモンゴル人組織の連帯と団結を求めて、ここ日本で、オルホノド・ダイチン氏らとともにクリルタイの結成を実現したこと、これは、モンゴルと深い歴史的関係を持つ日本において結成したことに深い意義がある、さらには、世界で初めて、南モンゴル国会議員連盟が結成されたことにも感動し、かつ誇りに思っていると述べました。
最後に、現在も南モンゴルでは弾圧が続いており、母語教育の廃止、さらには、モンゴル語で書かれた看板が壊され、書籍も焼かれているという情報まである、今南モンゴルで行われていることは、まさに文化ジェノサイドであるとテムチルト氏は批判し、私たちは屈することなく戦い続けると宣言して講演を結びました。
続いて、クリルタイ幹事長のオルホノド・ダイチン氏より、現在モンゴル国で拘留中のジャーナリストにして人権活動家、かつ、クリルタイ副会長を務めるムンヘバヤル氏についての報告がありました。
まずダイチン氏は、ムンヘバヤス氏は全世界のモンゴル人の尊敬する人物であり、1990年代から文筆を通じて活発に南モンゴルの人権改善を訴えるとともに、中国やアフガニスタンなどで苦境にあるモンゴル人の亡命にも実践的に救援活動をしてきたと述べました。モンゴル国における最高の賞というべき北極星賞を受賞するなど、その評価は国内的にも高いとのことです。しかしその彼が、今年2月、GIA(モンゴル国中央情報機関)によっていきなり逮捕され、スパイ罪の容疑として機密裁判が進み、明確な罪状も判決文も明らかにされない中、この6月には10年の禁固刑が、そして9月には第二審でも同様の刑が下されたと述べました。
ダイチン氏によれば、弁護士を通じて、この罪は「中国とモンゴル国との関係を悪化させた」「外国の諜報機関(インドともいわれる)から指示を受けて活動している」などであることを知ることができましたが、完全にこれは冤罪であり、中国の圧力によるものであること、現在モンゴル国は中国との経済交流が高まっており、次第にその勢力下にはいりつつある危険性を訴えました。そして、世界中のモンゴル人がムンヘバヤル氏のこの裁判を不当として抗議、釈放を求めており、日本からもぜひ声を上げてほしいと求めました。
なお、このムンヘバヤル氏については、翌26日の南モンゴル国会議員連盟においても、この裁判について憂慮し、外国からの圧力に影響されず公正な裁判が行われることを求める要請文が発表されています。 (文責 三浦、写真 森本)