趣意書「文化大革命時代の南モンゴルにおける 民族ジェノサイドのユネスコ記憶遺産申請を目指して」

 1960年代から70年代初頭にかけての中国の文化大革命時代、南モンゴルでは、モンゴル民族へのジェノサイドというべき拷問と虐殺が繰り広げられました。現在の中国政府も、文化大革命が中国全土で多くの悲劇を生んだ誤った政策であり、多数の犠牲者を出したことを公式に認めています。そして南モンゴルにおいても、内モンゴル大学出版社から発行された『内蒙古自治区史』(一九九一年)には、二万七千九〇〇人が殺害されたと記されています。
 
 しかし、他の研究者によれば、逮捕されたモンゴル人は50万を超え、殺害されただけではなく、拷問を受けて釈放後死亡したり、身体障碍者になったりした犠牲者を含めればこの数字ははるかに拡大するという説もあります。さらに重要なのは、この殺害や拷問は、文革への批判者であったためではなく、モンゴル人であること、それ自体が対象となったという、まさにヒトラーが行ったような民族絶滅政策であったということです。
 
 国連は1948年のジェノサイド条約において、ジェノサイドとは「国民的、人種的、民族的又は宗教的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもって行われる次の行為をいう。 a)集団の構成員を殺すこと b)当該集団の構成員の肉体又は精神に重大な危害を加えること c)集団の全部又は一部の肉体的破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に故意に課すること d)集団内における出生を妨げることを意図する措置を課すること e)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」と定義しています。
 
 このすべてが文化大革命時代の南モンゴルで行われました。モンゴル人は個々の政治思想に関わりなくすべて民族分裂主義者とみなされて逮捕、投獄され、殺害されました。女性はモンゴル人の子供を産めないような残虐な拷問を受けました。伝統的な牧畜民の生活様式は、環境に合わない耕作や農業を強制されることによって破壊されました。私たちはこのいまだに知られざる文化大革命時代のモンゴル人ジェノサイドの客観的な資料を収集、整理し、ユネスコの記憶遺産として登録することを目指します。
 
 私達は、中国政府を批判することを目的とするものではありません。人類は二度と再び、ナチスが行ったような特定の民族を想定した差別や絶滅政策を行ってはならないためにも、このような負の遺産もまた、歴史的資料として記録していかなければならないと考えます。中国政府自身が文革時代の過ちを認めている中、私たちがその時代に南モンゴルで行われたことをわが民族の悲劇として記録することこそ、中国を含め、世界が過去の過ちを反省し、将来の平和と人権尊重を推進するために役立つことでありましょう。

南モンゴル クリルタイ(世界南モンゴル会議)
代表 ショブチョード・テムチルト
日本支部 オルホノド・ダイチン

2017年5月13日