南モンゴルの反体制作家、ラムジャブ・ボルジギンの証言
今回中国政府に不当に拘束され中国に拉致された南モンゴル人作家、ラムジャブ・ボルジギン氏が、2023年3月26日に南モンゴル人権情報センターで行われた講演内容を抄録したものです。全文は英語で、南モンゴル人権情報センターホームページに掲載されています。
「皆さんとの再会をうれしく思います。南モンゴルでは、私のような人間は、望ましくないという烙印を押され、反動分子としてブラックリストに載っているため、当局の厳しい管理下に置かれ、24時間体制で監視され、尾行されている状態です。そして、現在、南モンゴル人はすべて、浄化と絶滅の対象として扱われています。彼ら(中国当局)が欲しいのは、私たちの土地と領土です。民族として、私たちは存在しないとみなされています。」
「さらに厳しい政策が私たちに課されました。
COVID感染期間中、私たち一人ひとりに合計4回のワクチン接種が強制されました。しかし、数年の接種の後、人々は中国のワクチンは全く効果がないことに気づきました。80歳の私は、効果がないことが証明された中国のワクチンには反対です。しかし、都市部では、白い防護服を着た派遣社員が一軒一軒歩いて、住民に強制的にワクチンを接種していました。場合によっては、ワクチンを投与するために、人々の家にまで侵入しました。しかし、私は一度も家に入れたことがありません。何度か、警察官や警備員を引き連れて、私の家に来たことがあります。私は、「病気は医者が治すものであって、警察が治すものではない」と言いました。私の身体は両親から譲り受けたもので、党や政府からもらったものでもない、と。私には、自分の体をどうするか、どうしないかを決める権利があるのです。」
「母語モンゴル語を守るためのデモでは、多くの教師が亡くなりました。子供を学校に行かせない親たちは、職を追われたり、解雇されたりしました。彼らの家族や親戚の多くも巻き込まれ、多くのモンゴル人が命を落としました。デモを支援したモンゴル政府関係者の中にも、謎の死を遂げたり、姿を消したりした人もます。」
「同様に、COVIDの封鎖を口実に、道路や高速道路が封鎖されることも起こりました。市民の移動を妨害した当局は、その後、警察や準軍事組織をモンゴル地域に静かに移動させ、監視を強化していったのです」
「私たちモンゴル人は、部外者、特に外国人とコミュニケーションをとることを禁じられています。このルールを破った者は、捜索され、逮捕され、拘留され、牢屋に入れられます。携帯電話は没収され、ハッキングされ、徹底的に分析されました。個人情報と通信記録がすべてアクセスされ、コピーされた後、一部の端末は所有者に返却されましたが、すべてではありませんでした。」
「いわゆる「ルール破り」の人たちには、通信を許可する相手と、厳しく禁止する相手について警告が出されました。彼らは24時間体制で監視されています。たとえば、シリインホットの街全体は、黒い車に乗った重装備の警察やSWATチームが巡回し、住民の一挙手一投足を監視していました。そして、私たちの文字通りの動きも制限された。私のパスポートも没収されそうになりました。しかし、私は「パスポートを失くした」と伝えることで、パスポートの没収を免れることができました。その代わり、1日2回、地元の警察署に出向き、自分の状況を報告し、遵守事項の署名をするよう命じられました。」
「COVIDの規制が少し緩和されたとき、私は友人たちの助けを借りて、なんとかモンゴルまで逃げてきました。野生の動物のように、私は手錠を破って自由のために逃れてきたのです。もう戻りたくない、また足かせをつけられるだけだ。残り少ない人生の中で、自由な国で平和に暮らし、基本的人権を享受することが、私の夢です。私のもう一つの目標は、ここモンゴルで本を出版することです。」
「南モンゴルは中国の支配下にある。地域レベルから村の最下層まで、政府高官から学校まで、すべて中国が支配している。学校では、幼稚園のクラスも含めて、モンゴル人の教師はすべて中国内陸部の中国人教師に取って代わられました。さらに、モンゴル語の教科書などは書店や図書館から撤去されてしまった。一部の教師は、モンゴル語の本を隅々にまで隠して、なんとか保管している。最も神聖な本である『モンゴル秘史』さえも没収され、破棄されてしまいました。」
「私は当面、このウランバートルで友人と暮らしています。南モンゴルでは私の本を出版することは不可能なので、モンゴルで出版することが私の目標です。
ほんの数日しか自由を満喫していない私には、自由がどれほど貴重なものであるかは説明しきれません。率直な感想を述べます。私は戻りたいとは思いません。長い間夢見てきた自由を失いたくないのです。この先、あまり長い年月がないことは分かっているが、それでも、自由に生き、平和に死にたいのです」
「もし中国に帰ったら、政府の許可なくモンゴルに逃亡した私は、殺されないまでも厳しい処罰を受けるでしょう。前述したように、私は出発前から無期限の監視下に置かれ、個人の自由は一切ない。私の脱走に当局も激怒したに違いない。そのため、私が戻るのは非常に危険なことなのです。」
「ご存知のように、南モンゴルではモンゴル語の書籍の出版は完全に非合法化されています。政府や党のプロパガンダでさえ、もはやモンゴル語で出版されることはない。私は、この地で出版し、後世に残したいという思いで、何年もかけて本を作り、危険を冒してモンゴルまでやってきました。私の本を通して、後世の人々は、私たちの国が何に耐え、どのように人々が生き残るために戦ってきたかを理解することができるでしょう」
「最初に出版する予定の本は、モンゴルの歴史に関するもので、主に30人以上のモンゴル人のハンの個人的な人生と功績を、時系列で紹介するものです。推定文字数は編集後、およそ10万字です。」
「2冊目は『記録No.1981』と題し、1981年のモンゴル学生運動に焦点を当てたものです。初稿は20万字程度です」
「3冊目は、中国共産党の南モンゴル占領の歴史的記述で、主に中国共産党がいつ、どのようにしてシリンゴル地域を支配下に置いたか、モンゴルの土地や領土をどのように占領したか、モンゴルの財産をどのように没収・破壊したか、彼らが起こした政治運動の内容、大量殺戮などの残虐行為をどのように行ったかに焦点を当てるつもりです。本書の推定文字数は150,000字です。これが私の計画です」(翻訳・編集・文責 クリルタイ事務局)