10月9日の奈良での南モンゴル勉強会ですが、参加者はボランティアや、自民党青年部、市議などの動員を含めて230人ほどでしたただ、多くの奈良の県議会議員、市議会議員、町議会議員(大体全体で30数人は来ていましたし、あと、自民党青年部も10数名をボランティアで動員していました)に、南モンゴルの問題を訴えることができたのはよかったと思います
司会はあぼともこさん。第一部では、高市早苗大臣が約20分講演し、今、日本に住む南モンゴル人が、家族を人質に取られている状態で脅迫を受けていることをやめさせるのは日本国の主権の問題であること、南モンゴルではさまざまな人権弾圧が行われており、その中でも宗教、仏教信仰への迫害がひどいことなどを指摘しました。
その上で、モンゴル国に対し中国のひどい圧力が加えられていること、その実例として、今、南モンゴルから亡命したモンゴル知識人が、中国からはいってきた警察に拉致されているようなひどい状況が起きていることを高市議員は指摘しました。
そして、モンゴル国がこのように中国の圧力に屈しているのは、中国との貿易において、経済的にほとんど依存関係にあることが大きい、その面を考えると、日本国はこれから、中国経済や中国からの輸入に頼る傾向をできるだけ減らしていく、日本独自の生産やほかの輸入路を作っていく必要がある、これは、強制労働や独裁体制下で作られている製品を拒否するという現代社会の人権ヂューリジディスの方針にもあっていることで、自分もまた、政府の一員としてこのことを進めることで南モンゴルへの支援としたいと述べました。
続いては、南モンゴルクリルタイのアリチャ氏が登壇、戦前から現代まで、特に日本国と南モンゴルが深い結びつきを持った満洲時代について触れつつ、南モンゴルの歴史をまず述べました。そこでは、いわゆる日本の戦後歴史観では暗黒の時代だったように語られた戦前の時代が、むしろ、南モンゴルにおいては、民族意識の目覚めと近代化の始まりという明るい時代であったこと、それは日本敗戦後の中国共産党支配下では全く失われたことであることを述べました。
さらにアリチャ氏は、文化大革命時代の南モンゴルジェノサイドが、150万人のモンゴル人の中で数十万の犠牲を出したことを指摘し、このジェノサイドは、現代においても本質的には継続していることを批判しました。モンゴルでは今もハダ氏、フーチンフ氏をはじめとする人権運動家は弾圧、暴力を受け、環境は破壊され、遊牧という民族の生活習慣も禁止、さらには、母語モンゴル語教育まで廃絶されていることをアリチャ氏は指摘し、南モンゴルの実情を訴えて講演を終えました。
最期に評論家の三浦小太郎から、日本の国民作家、司馬遼太郎が、1973年、90年の二回にわたってモンゴル国を訪問し、南モンゴルから娘と共に亡命してきたモンゴル人女性、ツェベクマさんのことを「草原の記」(新潮文庫)に書き記していること、そこにはモンゴルの現代史が日本との関係も含めて感動的に述べられていることが述べられました。
以上で南モンゴル勉強会は閉会し、最後に南モンゴルクリルタイ副会長のオルホノド・ダイチン氏から御礼のあいさつがあったのち、司会のあぼともこより、「南モンゴルを応援する国会議員連盟」は、世界でもただ一つ、日本にしかないこと、その会の会長が高市早苗大臣であることが説明されました。その上で、「南モンゴル」という名称だけでもある意味独立の意志がそこに込められているため、高市大臣はこの名称で引き受けてくださるかどうか心配がなくはなかった。しかし、大臣自ら、はっきりと南モンゴルの人たちの意志を占めることが大事だと、この名称を受け止めてくださった、そのことに深く感謝していることが語られて、この勉強会は閉会となりました。