昨年7月に東京大学で開催された「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム」に参加された先生方による論文集が発行されました。アマゾンでもお求めになれます。今回、この論文集発行を記念して、9月14日(土)午後3時から6時まで、中野区役所会議室にて開催されました。
昨年のシンポジウムに参加され発表した東京大学法学部の平野聡教授が公務のため来られなかったものの、メッセージがありました。次の通りです。
——————————————-
昨年7月に東京大学駒場キャンパスで開催された「モンゴル・チベット相互承認条約110周年記念国際シンポジウム」は、習近平中国が掲げる「中華民族意識の鋳牢」なる政策のもと、香港・南モンゴル・新疆・チベットで長年培われてきた独自の文化・言語・社会意識が深刻な抑圧に直面し、さらに台湾までもその対象とされて強い圧力が加えられ、全世界的な注目が高まっている中で開催されました。
登壇者はモンゴル文・チベット文・満文・漢文・英文と様々な史料に基づき、多種多様な論点を展開しましたが、共通しているのは、そもそも今日の近現代中国の主権国家建設の試み自体と、その背後にある国際関係には、様々な問題があったという認識です。
モンゴルとチベットは言語と文字を全く異にしますが、漢字を用いずチベット仏教文明と騎馬文化を共有し、歴史的に親密な関係を構築してきました。この仏教的なつながりに満洲人中心の清朝が加わり、さらに清朝のヘゲモニーが前近代の東アジアから内陸アジアにかけて覆うことで、モンゴル・チベット・満洲・漢人といった人々は、満洲人皇帝と多様な関係で結びついていました。多様な関係とはすなわち、漢字を使わない仏教的論理での関係もあれば、漢字を使う儒学的・中華的論理での関係も含むということであり、清朝皇帝はそれらを使い分けつつ影響力を行使していました。そこで、モンゴル人もチベット人も自らは「中国」「中華」に属するという意識は持たず、漢人の側も前近代においては漢字を使わないチベット仏教徒が「中国」「中華」文明の文法を共有するとは夢にも思わなかったのです。
ところが19世紀以後、近代的な国家主権の論理や国際関係の影響のもと、漢人社会(そして漢化した満洲人)の間では、清朝の影響下にある土地をすべて「近代国家・中国」と呼び変え、その中に住む人々を「中華民族」なる単一民族的意識を持つ存在に作りかえなければならないという発想が生じました。20世紀初頭の清末は、このような思想的激変の最初のピークであったと言えます。
モンゴル・チベットが近代国家として自立しようとしたのは、このような中国ナショナリズムの発想が清朝体制を覆い尽くし、文化・社会・自然改造の暴力・圧力が急激に高まった中での、抵抗権・自決権のあらわれとして理解できるでしょう。とりわけ、1911年の辛亥革命で清朝皇帝が下野したことは、モンゴルやチベットからみれば仏教を介した皇帝との関係が完全に終了したことを意味しており、これ以後は「中国」「中華」といった、非漢字文化にとって馴染みのない概念を掲げる国家が主導する近代化と仏教破壊の圧力に従属する必要はない、ということでした。
モンゴル・チベットにとっての不幸は、その後20世紀の歴史の中で、とりわけソ連・中国の反仏教的な社会主義体制に従属させられたことでした。しかし今や北モンゴル・モンゴル国は真の独立を達成しました。グローバル化の中で、モンゴル・チベット人の多様な意見の発信もなされています。台湾にある中華民国も、多様性を尊重する自由な秩序を実現しつつ、モンゴル・チベットと新たに仏教文化に基づく交流を深めています。こうした中で、これまで余り広く知られてこなかったモンゴル・チベット・清朝の関係、近現代中国による「中国化」と社会主義化の圧力にさらされた南モンゴルとチベットの苦しみ、そしてかつては中国ナショナリズムに規定されていた台湾とモンゴル・チベットの関係のダイナミックな変容が明らかにされつつあります。
本論文集は、このような趨勢をコンパクトに分かりやすく、かつ貴重な史料も踏まえつつ説明するものであり、東アジア・内陸アジアにまたがる和解と平和構築に関心を持つ方々に広く読まれる価値があると考えます。
——————————————-