【10.19大阪】アリヤ代表:「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム 論文集」発行記念 大阪集会

昨年7月に東京大学で開催された「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム」に参加された先生方による論文集が発行されました。アマゾンでもお求めになれます。今回、この論文集発行を記念して、10月19日(土) 大阪 なんば市民学習センター第一研究室 にて開催されました。

昨年のシンポジウムの共催者の ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表アリヤ博士が公務のため来られなかったものの、メッセージがありました。次の通りです。

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2024年10月19日(大阪)

「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム 論文集」発行記念 大阪集会

「『モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム 論文集』発行記念 大阪集会」にご出席くださりました皆さまに、心より感謝申し上げます。

昨年7月に東京大学で開催された「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム」の論文集発行を記念し、大阪でも記念集会が開催されますことを大変嬉しく思います。私は先月、東京で開催された集会に出席させていただきました。今回は残念ながら所用により出席することが叶いませんが、主催者の皆さまにお祝いを申し上げるとともに、チベットとモンゴルの歴史的関係について、少しお話をさせていただきたいと思います。

チベットとモンゴルは、歴史的、政治的、宗教的に非常に長い間、密接な関係を享受し、共有してきました。歴史は非常に重要です。歴史がなければ、国も文明も民族も滅びてしまいます。チベット、南モンゴル、ウイグルは今、抑圧的な中国共産党の支配下にあります。中国共産党がチベットを支配してから70年以上経ちますが、チベット、南モンゴル、ウイグルは依然として国際問題であり続けています。なぜ国際問題であり続けているかというと、我々には歴史があり、文明があり、言語があり、そして強い民族的アイデンティティがあるからです。真実と歴史は我々の味方であり、だからこそ我々は強いのです。

現在の中国共産党の政策は、我々の歴史、言語、アイデンティティを破壊し、土地や人々を完全に支配することです。宗教弾圧や干渉は、日常茶飯事となっています。中国共産党は植民地的寄宿制学校を設立し、子供たちから母国語と民族のアイデンティティを奪い、共産主義のイデオロギーとプロパガンダで洗脳しています。

自由な世界に住む私たちは、自分たちの歴史、文化、言語、アイデンティティを守らなければなりません。中国共産党政権は現在、共産党の支配を正当化するために、組織的なレベルで私たちの歴史を歪曲し、新たな偽の歴史を書き加えようとしています。これは非常に危険なことです。

1913年1月 11日に調印された「モンゴル・チベット相互承認条約」は、当時チベットとモンゴルが独立国家であったことを示す、歴史的、法的、政治的に重要な証拠です。私たちはこの条約とその背景、そしてこの条約が今日でも有効であるという事実について話し合い、議論する必要があります。

モンゴルの元王朝、チベット、中国の宋王朝

中国共産党政権は、チンギス・ハーンとモンゴル元王朝、そして満州の清王朝は中国のものであると主張しています。これは完全に嘘であり、歴史の歪曲です。 モンゴルとチベットの関係は元王朝の建国よりも前から続いており、当時、中国は宋王朝(960~1279)であったことを認識しなければなりません。1240年、モンゴルのゴダン・ハーンがチベットを攻撃し、モンゴルによるチベット侵略が始まりました。しかし、1247年、ゴダン・ハーンは涼州 (Langchou)でチベットの高僧サキャ・パンディタと会見し、師弟関係、いわゆる「施主とラマの関係」が確立され、チベットは自治を認められました。

1253年には、モンゴルのクビライ・ハンとチベットの高僧サキャ・パクパが会見し、緊密な施主とラマの関係がさらに強化され、1254年にはパクパにチベット全域に対する全権限が与えられました。1271年、クビライ・ハンは元王朝を建国し、その9年後の1279年には中国の宋王朝を征服しました。朝鮮半島は1231年、ビルマは1271年、とベトナムは1282年に元王朝に支配されました。

したがって、元王朝の征服を根拠に中国共産党が主張するチベットとモンゴルに対する領有権は見当違いであり、歴史をひどく歪曲しているのです。もしこの論理が成り立つのであれば、モンゴルには中国とチベットの領有権について、より説得力のある論拠があることになります。

清王朝から中華民国へ、チベットとモンゴルの独立

ここで認識すべきは、現在の中国は13世紀の元王朝でもなければ、17世紀の清王朝の引き続きでもないということです。清王朝を打倒して、中華民国の初代臨時大総統となった孫文は「中国は歴史上2度外国の支配下に置かれた。1度目はモンゴルの元王朝、2度目は満州の清王朝によるものだ」と述べました。孫文は満州を外国勢力と見なし、中華民国を宣言しました。彼はモンゴル、チベット、さらにはネパールにまで中華民国への参加を呼びかけました。しかし、ネパール、モンゴルのホトクト、チベットのダライ・ラマは、いずれもこの提案を拒否し、自らの独立を主張しました。

このことは、中国は外国である清王朝を打倒し、中華民国を設立したことを意味しています。その結果、チベットやモンゴルも清王朝の権威と支配から脱することができたのです。孫文が「満州の清王朝は中国に対する外敵である」と宣言したように、清王朝はチベットとモンゴルにとっても外敵だったのです。

歴史的事実としては、1911年に清王朝が崩壊して中国が独立し、1912年1月1日に中華民国が成立しました。そして、モンゴルは1911年12月29日に、チベットは1913年2月13日にそれぞれ独立を宣言したのです。

進むべき道

7~ 8世紀のチベットや13~14世紀のモンゴルはかつて、軍事大国でしたが、戦争の恐ろしさや破壊的な本質に気づき、ブッダが説いたアヒンサー(非暴力)の道を歩みました。世界が戦争や暴力のない未来を望むのであれば、チベットやモンゴルが歩んだ道を歩むべきです。

中国は豊かな歴史や文化、偉大な文明を持つ国であり、平和、芸術、学問の振興に広く貢献する力を持っています。共産党指導部は、この偉大な古代文明を尊重すべきであり、共産党政府の活動や自由と民主主義への弾圧を正当化するために、自国と占領地域の歴史を書き換え、歪曲することは適切ではありません。

戦争は私たちの相違点を解決する手段ではなく、相互の尊重と対話こそが解決策となるのです。ダライ・ラマ法王は、20世紀は戦争の世紀であり、21世紀を平和と対話の世紀にしなければならないと何度もおっしゃっています。

チベットとモンゴルの人々は、このことにいち早く気づいた民族ですが、現代世界は彼らを地政学的に抑圧し、鎖で縛り付けてきました。自由なチベットとモンゴル、そしてチベット高原を平和地帯とするダライ・ラマ法王のビジョンの実現は、アジアと世界における平和と調和の時代の到来に、大きく貢献することでしょう。

ですから、私たちは皆団結し、チベットやモンゴルのように非暴力の道を歩みながら、世界平和と調和のために共に努力し、頑張っていきましょう。

ありがとうございました。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

代表

アリヤ・ツェワン・ギャルポ