昨年7月に東京大学で開催された「モンゴル・チベット相互承認条約調印110周年記念国際シンポジウム」に参加された先生方による論文集が発行されました。アマゾンでもお求めになれます。今回、この論文集発行を記念して、10月19日(土) 大阪 なんば市民学習センター第一研究室 にて開催されました。
昨年のシンポジウムに参加され発表もした 公益財団法人東洋文庫研究員 宮脇淳子 博士が 大阪の集会には所用があって参加がかないません でしたが、メッセージがありました。次の通りです。
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「モンゴルとチベットの長くて深い関係」
公益財団法人東洋文庫研究員 宮脇淳子
(「昭和 12 年学会」を改称した「知の再構築学会」会長)
昨年 2023 年 7 月 15 日に東大駒場キャンパスで開催された「モンゴル・チベット相互承認条約」調印 110 周年記念国際シンポジウムが、このように立派な論文集となりました。外国語の発表もすべてわかりやすい日本語になっていて、政治的活動としてはもちろん、学問にも寄与する業績となったことを、参加者の一人として、心より嬉しく光栄に思います。論文集の出版に尽力された、南モンゴルクリルタイ、チベットハウス・ジャパン、台湾民主基金のみなさまに祝福の言葉をお贈りするとともに、厚く御礼申し上げます。
9 月 14 日に東京で開催された出版祝いの集会には私も参加し、スクリーンに図版を映写してお話することができたのですが、大阪の集会には所用があって参加がかないませんので、論文集に掲載された拙論について、短く説明して、お祝いに替えたいと思います。
私は、京都大学の卒論以来、もう 50 年もモンゴルとチベットの関係を研究しています。私の先生で夫でもある、今は亡き岡田英弘は、フルブライト奨学金でアメリカに留学したとき、ダライ・ラマ 14 世の長兄、青海クンブム寺の活仏だったノルブさんと親しくなり、50年来の親友でした。ノルブさんはモンゴル語にも堪能で、私たちは国外に出たモンゴル人やチベット人から、中国の実情をたくさん聞きました。
中華人民共和国の共産党政府は、平気で歴史を書き換えます。だから、中国の外にいる私たちが、真実の歴史を書き残していく価値は何ものにも代えがたいと思います。
チベットは、13 世紀にモンゴル人を君主とする元朝の支配下に入りましたが、当時はシナ China も同じくモンゴル人君主に支配されている、元朝の領土の一部でした。元朝時代に「中国」という国はありませんし、シナがチベットを支配したわけではありません。
清朝は新疆からチベットまでを領土に入れましたが、支配層の満洲人は自分の言葉を持ち、モンゴルもチベットも新疆も固有の言葉や宗教を保ち、漢人とは分けて統治しました。1911 年漢人が清朝からの独立を宣言したので、モンゴルもチベットも独立を宣言、そして 1913 年に「チベット・モンゴル相互承認条約」が結ばれたのです。
中国の言うことが信用できないことは今ではほとんどの日本人は知っています。私の論文の最後に掲載した 1981 年の地図には 55 の少数民族がはっきり色分けされて、多民族国家であることを誇っています。チベット人もモンゴル人も中国人なのだから、独自の言語や宗教を禁止するという「漢化」「中国化」がごく最近始まったことがよくわかります。フランスの学者ダンコース女史の『崩壊したソ連帝国』は、全国民のロシア語化というソ連の言語政策が、結局失敗したことを明らかにしています。中国が民族を消滅させることは決してできないでしょう。われわれは絶望せずに、その時を待ちたいと思います。