11月13日 テムチルト氏講演会の報告文を、三浦小太郎氏より頂きました。
2016年11月13日、10日のクリルタイ結成大会にて第一回会長に選出されたジョショープト・テムチルト氏の講演会が東京四谷の会議室で開催されました。参加者は約25名、結成大会という大きなイベントを終えたのち、スタッフや協力団体の方々も集まり、リラックスした雰囲気の中で、講演会というよりも交流会のような形で行われました。
テムチルト氏は、1956年に南モンゴルで生まれました。70年代後半から80年代にかけて、南モンゴルで、モンゴル人の人権を認め、文化大革命での虐殺の責任を問う運動を始めたのですが、その結果当局の厳しい監視下に置かれます。書店を経営してモンゴルの文化を広めるなど、国内で何とか運動を続けようとしましたが、結局、当局の逮捕の手が迫り、91年、当時のモンゴル人民共和国に亡命しました。
しかし、モンゴル人民共和国(現在のモンゴル共和国)は、同胞としてテムチルト氏を受け入れてはくれたのですが、中国、ロシアの圧力などいろいろな問題もあり、国内で運動や言論活動をすることは難しく、テムチルト氏は、自由な言論活動や中国政府への批判をするために、1992年、ドイツに政治難民として亡命します。
その後のテムチルト氏は、海外の中国民主化運動と連携し、モンゴルの人権問題を国連で訴えるなど様々な活動を行ってきました。特に先駆的だったのは、モンゴルだけではなく、ウイグル、チベットの運動とも連携しなければならないと、90年代から積極的に各民族の運動と交流してきたことです。同時に、台湾との結びつきも積極的に深めてこられました。その成果として、今回のクリルタイ大会に、様々な立場の運動家が参加してくれたことにテムチルト氏はまず深く感謝すると述べました。
その上で、テムチルト氏は日本と南モンゴルの関係について、戦前。戦中の満州帝国の時代からさまざまな深い関係があったことに触れ、日本が南モンゴルン近代化に大きな役割を果たしたことを評価するとともに、今後、この日本が歴史的にも、またアジアの民主主義国家としても、この南モンゴルの人権改善、環境保護、そして民族自決権の問題に取り組んでいってほしいと訴えました。
そして、テムチルト氏は、現在の段階で断定はできないいが、南モンゴルの環境問題の一つとして、南モンゴルが、中国政府により、資源の乱獲や無原則な工場誘致による環境破壊だけではなく、国内の様々な放射性廃棄物がひそかに捨てられている可能性をテムチルト氏は指摘しました。なを、内モンゴルエキナ旗では2014年に下記リンク先のような民衆の抗議活動が起きています。ここでも、放射性廃棄物による被害に対して民衆が訴えています。
講演会後、参加者による様々な質疑応答がなされたのち閉会となり、二次会では、今回のクリルタイ大会にボランティアとして参加された方々を中心に、今後の運動についても様々な議論がなされました。テムチルト氏はその後も数日日本に滞在、大会にご協力いただいた日本国会議員の方々に御礼の挨拶に伺うなどしたのち、ドイツに無事戻りました。(文責 三浦小太郎)