ダイチン:言葉によるテロ――中国総領事“斬首発言”が突きつける日本への挑発

2025年11月7日、中国駐大阪総領事・薛剣氏が自身のX(旧Twitter)上で、高市早苗首相に対し「その汚い首は斬ってやるしかない」と投稿しました。
この発言は、外交官としてあるまじき暴力的威嚇であり、単なる個人の失言ではなく、中国外交の体質そのものを映し出す象徴的事件です。

南モンゴルクリルタイ共同代表であり、『自由モンゴル』編集長のオルホノド・ダイチン氏は、本稿「言葉によるテロ」において、この発言の本質を「言葉を使った心理的攻撃」「テロリズム的脅迫」と位置づけ、日本社会が直面する新たな言論空間の脅威を鋭く指摘しています。

外交官による暴力的発信の危険性、SNS時代の“言葉のテロ”、そして日本政府・社会が取るべき対応――。
言葉が武器となり得る時代に、自由と民主主義を守るための警鐘を鳴らす一文です。

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言葉によるテロ

――中国総領事“斬首発言”が突きつける日本への挑発

2025年11月7日、衆議院予算委員会で高市早苗首相が台湾有事への認識を問われた際、中国駐大阪総領事・薛剣(せつけん)氏は自身のX(旧Twitter)に次のように投稿した。

「勝手に突っ込んできたその汚い首は、一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか。」

この投稿は、外交官による発言として前代未聞である。
いかなる比喩を用いたとしても、他国の政府首脳に対して「斬首」を口にすることは、明確な暴力的威嚇であり、言論によるテロ行為にほかならない。


■ 外交官による“暴力の言語化”という危険

外交官は自国の政策と姿勢を体現する存在である。
したがって、その発言は私的見解ではなく、国家の意思として受け止められる。

薛総領事の発言は「個人の失言」などという次元ではない。
むしろ、中国外交の根底に潜む暴力的体質と、対外威圧の文化を象徴している。

近年、中国は軍事力の誇示だけでなく、情報操作・世論戦・心理戦を組み合わせた「ハイブリッド外交」を展開してきた。
その狙いは、相手国の社会を内側から分断し、恐怖と自己検閲を生み出すことにある。
今回の発言も、その延長線上にあると見るべきだ。

つまり、中国政府は「言葉」を武器とし、相手の精神を揺さぶる“心理的攻撃”を仕掛けている。
暴力の実行を伴わずとも、暴力を予告・正当化する発信は、民主主義社会に深刻な影響を及ぼす。


■ SNS時代の“言葉のテロ”

薛総領事の投稿は、外交儀礼の逸脱にとどまらず、社会的な煽動効果を持つ点で極めて危険である。

SNSを通じて拡散されたこの言葉は、在日中国人社会や親中派組織、さらには日本国内の過激思想を持つ個人に対し、
「暴力こそが正義である」という暗黙のメッセージを送ることになる。

テロリズムの定義には「政治的目的のために暴力を正当化・鼓舞する行為」も含まれる。
そうである以上、この発言は単なる暴言ではなく、明確に“テロ予告的”性質を帯びている。

実際、過去のイスラム過激派によるテロの多くは、SNS上の過激な発信を端緒としていた。
言葉が現実の暴力を引き起こす――それは私たちがすでに痛感してきた現実である。

日本も例外ではない。
安倍晋三元首相が言論の自由を象徴する存在として狙われ、凶弾に倒れた事件を私たちは忘れてはならない。
言葉は思想を生み、思想は行動を導く。
暴力的言語の放置は、やがて現実の暴力を招くのだ。


■ 日本社会への挑発と政府の責任

暴力を示唆する外交官の存在は、日本の治安と民主主義に対する明白な挑発である。

しかも、外交特権を持つ立場の人物が発したという点で、一般人の過激投稿とは比較にならないほどの国際的影響を持つ。

外務省は即座に中国側へ厳重抗議を行い、
場合によっては 「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」 の宣告も検討すべきである。

国家の威信を守るためには、沈黙こそ最大の危険である。
もし日本政府が何らの対応も示さなければ、暴力的外交を黙認したとの印象を国際社会に与え、結果的に日本の発言力を著しく損なうだろう。


■ “文化としての威圧”にどう向き合うか

この事件は、一人の外交官の暴走というより、中国が国内外で用いる「威圧と統制の文化」が可視化された出来事である。

中国共産党体制の下では、言論は常に権力の道具として機能し、相手の沈黙を引き出すことが目的化されている。
その論理が外交の場にまで拡張されれば、「発言への恐怖」が相手国社会に浸透し、自由な議論が萎縮する。

これは、日本の民主主義の根幹を侵食する静かな脅威である。

さらに、昨年のトランプ前大統領への暗殺未遂、
そして今年秋に起きた米大学での著名論説者殺害事件など、
世界では再び「言葉から暴力への転化」が顕著になっている。

こうした国際的潮流の中で、日本が毅然とした対応を示すことは、民主主義国としての責務である。


■ 自由社会を守るために

日本社会は、この“言葉によるテロ”を決して軽視してはならない。

暴力や脅迫に屈しないという民主主義の根本原則を守るために、
政府の断固たる姿勢と国民的警戒が求められている。

政治家や報道機関、学者、市民が自由に意見を述べられる環境を守ること――
それこそが自由社会の生命線である。

自由と尊厳を守る闘いは、銃ではなく言葉から始まる。
しかし、言葉が暴力の道具に変わったとき、社会は容易に沈黙へと導かれる。

私たちはその変化を許してはならない。
沈黙は服従を意味し、服従は自由の終わりである。

今こそ日本は、言葉をもって暴力に抗い、
理性をもって威圧に立ち向かうべき時である。


オルホノド・ダイチン
南モンゴルクリルタイ共同代表
モンゴル語雑誌『自由モンゴル』編集長